| 特 集 1 | 畜産環境問題の現状と対策 |
酪農に関しては後進国であったわが国が、現在、個体乳量レベルでは、酪農の先進国であるヨーロッパ諸国を追い越し、アメリカに肩を並べようという勢いである。短期間でこれを実現するために払われてきた努力は、驚嘆に値するものである。
しかし、同時に種々の問題が明らかになってきている。家畜ふん尿の管理に関する問題が、その代表的なものであろう。また、いま世を騒がせている口蹄疫の問題も、餌から敷料までを海外に依存している我国の生産構造から生まれたものと見ることができよう。
本稿では、まず一つ目のテーマとして、「家畜ふん尿問題と酪農技術の再考」について、いくつかの個別的な問題に焦点を当てながら、問題の根源を探るとともに、二つ目のテーマとして、「今後に向けての長期的展望」を考えてみたい。
(1)家畜ふん尿の問題は処理技術の問題か?
家畜ふん尿の問題が議論される時に、その対応策としてまず要求されるのが処理施設や機械等の処理技術の開発である。では、処理技術が進歩すれば家畜ふん尿の問題は解決するのであろうか。
北海道における国営の肥培かんがい事業の一事例を考えてみよう。1ha当たり4頭以上の高泌乳牛をかかえて、ふん尿処理問題に困っていたある酪農家は、肥培かんがい事業のお陰で、ふん尿が自分の牛舎の周りから地下配管によって共同の貯留槽へ運ばれ、また利用(搬布)の際にも地下配管で搬送される施設を得ることが出来て、大いに喜んだ。ここまでは、よかったのであるが、その次にこの酪農家がとった行動は何であったろうか。それは、さらなる飼養頭数の増加だったのである。
また、筆者が所属する酪農学園大学に実規模のバイオガスプラント(図1)が完成し、多くの見学者に来ていただいているが、バイオガスプラントにはとても素晴らしい点があるものの、この施設さえ出きれば問題が解決すると考えるのは早計である。バイオガスプラントは、宝物である消化液を全量土地に戻して初めてその有効性が現れるのである。決して水処理をして川へ流すための前処理ではない。
肥培かんがい技術と同様に、発生した窒素等成分はいかに処理をしても、空中に揮散するか、河川や地下水に入り込むか、また、土壌中に過剰蓄積するか、最終的にどこに行くかはわからないが、消えてはくれないのである。多すぎれば、必ず環境への負荷となる。基本的には、発生量を抑えるか、または堆肥を戻す場所(自己所有地に限らず)を確保するしか解決する道はないと考える。施設・機械そのものの良し悪しというよりも、高度な処理技術が導入されれば問題が解決すると考えること自体に問題があったのではないだろうか。

図1 酪農学園大学 バイオガスプラント
(2)家畜に人間の食べられるものを与える畜産がいつまで続くか?
家畜の家畜たる由縁は、人間が食べられないものを食べて、人間が食べることの出来るものを生産してくれることにあったはずであるが、現在の畜産はどうであろうか。
酪農生産技術の発展は、1頭当たりの生産乳量を20年程の間に2倍以上に増加させた。これは、アメリカの酪農生産技術の導入なしには考えられないことであろう。しかし、導入されたのは技術だけではなかった。大量の穀物飼料がアメリカから我が国へ導入されたのである。これはアメリカの酪農生産技術が豊富な穀物飼料によって成立していることを考えれば、ごく自然のことかもしれない。このような人間が食べることのできる穀物を家畜に食べさせることに支えられた「高度な技術」は、いつまで続けることができるのであろうか。
高泌乳牛化は世界の食糧確保のためにも必要だと主張する人もいるが、世界の人口を養うためには、穀物そのものを食する方がはるかに得策であることは論を待たない。
カンボジアでNGO活動をされていた同僚のキリスト教学担当の先生が、「穀物を大量に与えながら高い泌乳量を自慢している我が国の酪農生産に、とても違和感を感じる」と話されていたことが心に残る。
(3)育種目標はこのままでよいのか?
前述したように乳牛の能力は短期間の間に急速に向上した。今や1頭当たり年間泌乳量が1万kgを越える牛は、特にめずらしくなくなってしまった。
一方で、不可思議な現象が生じている。放牧主体で牛を飼おうとしている酪農家にとっては乳が出過ぎるのである。もう少し乳量の低い乳牛の種を付けたくても見つからない。
海外の状況を見てみよう。少し前の話になるが、ニュージーランドの育種目標は、乳量3500kgで体重400kgと聞いたことがある。これは、自国の土地条件をフルに活用した生産を行うための独自な目標である。ニュージーランドの技術者(研究者)は、「我々は高泌乳牛を作る技術は十分に持っているが、目標が違うのだ。」と言っていたことを思い出す。
一方、ノルウェーでは、7500kgで泌乳曲線をフラットにすることが育種目標であると聞いた。ノルウェーでは穀物飼料のみならず粗飼料も潤沢には手に入らない。このため政府は牛乳生産に対しかなりの補助を出しているわけであるが、この補助額を抑えるためには、余剰乳は出したくない。そのためには、泌乳曲線をフラットにする必要があるというのである。7500kgという乳量目標もこれらの総合的検討の結果だと言う。ノルウェーの技術者(研究者)は、「日本人の指導者達が見学に来るが、乳量が7500kgだと知ると、なぁーんだと言って帰って行く。彼らは、本質を何もわかっていない。」と語ってくれた。
では、我が国の育種目標は何なのか。もうそろそろ膨大な穀物資源に支えられているアメリカと同じ育種目標を持つことから脱却すべきではないだろうか。例えば、夏は放牧・冬は舎飼いに適した牛や粕を主体とした飼料に適した牛など、我が国の風土条件に適した乳牛の育種こそが大切なのではないだろうか。国の育種目標もそろそろ方向を転換すべき時期にきていると思われる。風土条件に合わない乳牛を飼うことは、家畜ふん尿管理にも大きな問題を残すことになるのである。
(4)酪農生産を経済性だけの評価に任せてよいのか?
徹底的な経済性の追求が、現在の日本の豊かな経済を支えてきたことは紛れもない事実である。農業においても、経済性を高めるための方策として、1労働生産性の向上、2土地生産性の向上、および、3高付加価値化がとられた。1のためにトラクターを始めとする機械の導入がなされ、2のためには化学肥料や農薬が投入された。また3のためには、真冬でもイチゴが採れるように加温の温室が利用された。これらは見事に成功して、農業における経済性を高めた。しかし、ある時点から、これらの方策は良い面だけではなく、徐々に悪い面ももたらすようになってきた。それらは、過度な化石エネルギーへの依存、残留農薬の問題そして自給率の低下に結びつき、最終的には、すべてが環境への過度な負荷となって現われ出してきたと考える(図2)。

図2 経済性優先の方法と悪影響
実は家畜ふん尿の問題は、この過度な経済性の追求の結果生じた問題であるとみることが出来る。その例をいくつかあげてみたい。
北海道十勝地方のある酪農家は、自給飼料を作るための十分な土地を所有しているにもかかわらず、TMR化した飼料を購入して乳牛に与え、自己所有地では乾草を作らせて販売しているという。こちらの方がもうかるのだそうである。また、府県の酪農家は自給飼料はほとんど作らずにほぼ全量を購入飼料に依存している。実際のところ、このやり方の方が北海道で自給飼料にこだわるよりもずっと儲かる仕組みになっている。
経済性だけから考えたら、この酪農家は優秀な経営者なのかもしれないが、これはどう考えてもおかしいことである。円が強くて海外から安い濃厚飼料が手に入る間は、酪農の基本を忠実に守っているはずの自給飼料を主体とした酪農家が、つらい思いをしなくてはならないのである。
農業を単に市場経済の中にほうり込んだら、味で勝負できる一部の農産物をのぞけば、日本には農業はいらない、という結論しか得られないであろう。国民のエネルギー源となる穀物(米や大豆など)および飲用乳は、何としてでも国内で確保する必要がある。
そのことを理論づけてくれるのは、「物質循環」と「日本型食生活」であると筆者は考える。このことについては、次節で詳しく述べたい。
(1)「物質循環」から畜産の今後を展望する
WTO農業交渉に対する我が国の対応として、「農業の多面的機能」という言葉が頻繁に使われた。農業を経済的な視点だけからではなく、環境保全、地域社会の維持活性化、および、食料安全保障などの機能も考慮すべき、との考え方で、そのこと自体はとても大切なことであると思う。しかし、このことだけでは、農産物の輸出入に関する考え方を明確な形で述べることはできないと思う。なぜならそこに農業の基本である「物質循環」が明確に位置付けされていないからである。
「物質循環」から考えると、農産物(特に穀物)を輸入している国だけではなく、輸出している国にとっても、深刻な環境問題が引き起こされているのである。よく「食品の輸出は土の輸出で、輸入はふん尿の輸入だ」といわれるが、その通りの状況が輸入国である我が国はもちろんのこと、穀物の主な輸出国であるアメリカでも現れている。我が国における家畜ふん尿の問題の深刻さについてはすでに述べたが、アメリカにおける農地の砂漠化も衆知の事実であろう。かんがい依存の生産方式のためであるばかりではなく、土地に有機物の還元がなされていないことが大きな原因であろう。
我が国は、WTOの農業交渉において、科学的な根拠を持って「物質循環」を主張すべきであろう。そして、「何があっても国内産とすべきもの」と「輸入すべきもの」とを明確に仕分けする必要がある。その意味で、畜産のために我が国が輸入している大量の飼料穀物については、再考を要するであろう。国内で発生する生ゴミ、食品加工残さ、水産加工残さ等の有機物を、いかに上手に循環・利用するかが、これから最も大切なポイントの一つと考える。
(2)「日本型食生活」から畜産の今後を展望する
欧米の人達は、日本食を「バランスのとれた食」であると評価している。以前の話になるが、アメリカのスーパーマーケットでは日本の食材が、自然食品コーナーに置いてあったのを覚えている。 このような欧米の人達の日本食に対する評価とはウラハラに、日本人は自分たちの食生活を一生懸命欧米化しようとしているように見える。肉や乳製品の消費動向はそれを物語っている。これは、第2次世界大戦後「米を食うとバカになる」という事実とは異なった宣伝が欧米の生活へのあこがれと我が国の戦前の精神構造に対する嫌悪感とが後押しして、日本人をパン食に向かわせたことに象徴的に表れている。現在では、ある意味で、肥満と栄養過多の輸入をしているかのようでもある。
また、従来の考え方からいけば、たい肥化というものが畜産そのものの生産性を高めることには必ずしもつながらないという側面もある。このため、施設等は低コストで、オペレーションは簡単なもので、しかも出来るだけ効率の良いものが処理技術体系として要望されている。
私達日本人は、もう少し日本型食生活を見直して良いのではないだろうか。やはり、風土にあった食生活はそこに住む人々にとって持続的なものになると思われる。
(3)「物質循環」と「日本型食生活」から食糧需給を考える時の問題点と展望
「物質循環」と「日本型食生活」を押し進めたときに問題になるのは、「海外からの飼料のみに依存しながら国内で家畜生産することの意味」であろうと思う。「日本国内で何をどれだけ作るのか」を決めるということは、「何をどれだけ輸入するか」ということを明確にすることをも意味する。
ところで、現在、肉用家畜のための飼料は、ほぼ全量を海外に依存している。家畜が利用できる(消化できる)のは、飼料が持っているエネルギーの約30%である。残りの約70%は、上手に土地に戻さなければ、環境に対する負荷になってしまう。また、飲用乳は100%自給すべきであると考えるが、乳製品を無理に国内で作ることは、必ずしも得策ではない。なぜなら、牛乳生産のための飼料自給率は、北海道でも50%弱、本州では約25%と極めて低いのである。
ここで生じる新たな疑問は、「日本の畜産農家がつぶれてしまうのでは」ということであろう。この疑問に対する答えは、「無理な規模拡大をやめて、適正規模にする」ことであると考える。適正規模の農家を増やすことによって、全体の農家の数は減らさなくてすむはずである。同時に無理な大規模化がもたらす内部および外部の不経済から開放してくれるはずである。
その事例として、つなぎ飼い方式からフリーストール方式に変える場合を考えてみたい。収容方式を変えることにより、確かに1頭当たりの作業時間は減るわけであるが、頭数を倍にすればトータルの作業量は相当に増える。これまで家族労働力だけですんでいたのが、フリーストールにした結果、雇用労働力が必要になったという例は良くある話である。
また、頭数を増やしたことにより、生産乳量の増加は確かに得られるわけだが、同時に排せつ物の量も比例して増加する。牛乳1パックを生産する時には2.5〜3パックのふん尿が排せつされているのである。その結果、これまで切り返しだけで行っていた処理では間に合わなくなって、この大量の排せつ物を処理するための施設や機械が必要になる。そのためのコストと雇用のコストを考えると、大規模化したことによる経済的メリットは、往々にして、これらのコストで相殺されてしまう。これが内部の不経済である。
同時に、大量の排せつ物を自分の牧場内で利用しきれないという状況が頻発するわけであり、いきおい、環境への負荷となってしまう。これは外部の不経済につながるであろう。
(4)補助金のあり方を考える
ところで、なぜ上述したような投資が可能だったのであろうか。それは公的な補助を受けているからという場合が多い。筆者は、我が国においては、農業に対する補助は必要不可欠であると考えている。しかし、「補助金の使い途」と「補助金の出し方」には問題があると考える。これらの点について述べてみたい。
現在は、大規模化するために巨額の公的資金を投入し、また、大規模化したことによって生じた問題(特にふん尿による環境汚染問題)を解決するために、さらに巨額の公的資金を投入する、という構図になっている。しかも、前節(2の(1))で述べたように、公的資金を投入すればする程、問題は大きくなる傾向にある。これらの公的資金を上手に(真に農家のために)分配すれば、適正規模の農家が環境汚染を与えずに(環境保全しながら)経営してゆくことが可能ではないだろうか。
例えば、「物質循環を上手に作っている農家(図3参照)には補助金を与える」、という制度はどうであろうか。それによって国が望んでいる「農村社会の活性化」もはかられると思う。
また、2年ほど前にヨーロッパの家畜ふん尿問題にたずさわっている研究者19人を日本に招いて、国際ワークショップが北海道で開催された。日本の家畜ふん尿問題解決のためにどのような方策が考えられるかについて討議していた時に、スイスの研究者がとてもよい話をしてくれた。「スイスでも補助金をつけて家畜ふん尿管理のための施設・機械を導入させたがうまくいかなかった。そこでいろいろやってみたが、一番うまくいったのが、『ごほうび方式』だった。これは、環境への負荷を抑えることが出来る施設を作ったなら補助を出す、という方式である。日本でもやってみては。」という内容であった。
我が国でも、まずは農家自身が融資で家畜ふん尿管理のための施設・設備を建て、それが機能を発揮できるものであれば返済額を減免する、という方式をとれないだろうか。農家自身の創意工夫を引き出す方向で補助金が使われて、はじめて生きたお金になるものと考える。
(5)最も重要な研究テーマを考える。
今、最も必要とされる研究テーマは、「農産物に関して日本国内で何をどれだけ生産すべきか」であろうと考える。前述したように、このことは、「何をどれだけ輸入すべきか」を検討することをも意味している。このテーマを考えるときのキーワードは、「物質循環」と「日本型食生活」であろう。
このテーマは、個人で行うことができるような簡単なものではない。土壌の管理に始まって、栽培や飼養、育種・繁殖、健康管理(家畜福祉)、経営管理などの生産現場の問題から、食品加工や流通などの生産現場と消費者を結ぶ問題、食生活・食文化など主に消費者側の問題、そして、それらをとりまく環境の問題など、すべての分野が関わって取り組まなくてはならないような規模のテーマである。一つ一つが黒澤酉蔵が言う「循環農法」の輪の中に位置づけられるわけである(図3)。

図3 循環農法図(黒澤酉蔵)
いずれにしても、すでに小手先の技術で対応できるものではなくなってきていることに気付くであろう。例えば、家畜ふん尿管理の問題は、ふん尿そのものの処理や管理の変更だけでは改善されない。地球環境問題への対応と同様に、長期的視点に立ち、飼料基盤をはじめとして育種目標をも含めた酪農生産システム全体の見直しをしなければ、基本的な解決は得られないのである。
我々研究・教育に携わる者も、「先端的技術」とか「新しい技術」、「高度な技術」などの言葉に惑わされて個別的技術の追求のみに捕われ、全体の酪農生産システムを壊すことのないよう、身を戒める必要がある。
解決策は、土地条件・気象条件等を含めた風土条件に適合したシステムをそれぞれの地域で作り出すしかないのである。
これこそが、「高度な技術」と呼べるものと考える。海外からの借りもの技術ばかりに期待することからは、そろそろ脱却しよう。そのためには、「循環」と「共生」を基本として、足元を見ることから始めるしか方法はないのである。